2016/04/11

リップヴァンウィンクルの花嫁 を観た。

評価: 3.5

観る価値あり。

(以下、ネタバレありかも)

黒木華の雰囲気は好きだけれど、1ショットのカットが持つかといわれるとどうだろうか。とはいっても、そんなのが持つのは蒼井優くらい?岩井俊二作品の蒼井優はとても好き。

最後のシーンの黒木華、素敵だったな。あのアパートも素敵。やはり築年深、ベランダから緑が見える住まいに限る。

ネットでの出会いにリスクがあるのはそうだけれど、ではこの歳から先、どの様に人と出会うことがよいのだろうか。

途中で黒木華の歌っていた歌が良かったな。
Coccoは歌い始めただけで鳥肌立つ。


この世界はさ、本当は幸せだらけなんだよ。

2014/11/05

鼻炎最後の夜。

2014/09/28

電気代について。

年間76000円程度かかっている。
プラン変更は、どう変更しても安くならない様だ(土日割りや夜割りなど)。

唯一効果がありそうなのは、待機電力を減らすことと、こまめに電灯を切ること。
あと、冷蔵庫をどうにかする。

冷蔵庫については、夏以外は1つ止めることにした。

待機電力については、使わない時期はブレーカーで冷房を切る。
あとは、ステレオの待機電力が大きそう。。10Wくらい?
もしそうなら、月の電気代の6%程度相当。
年間5000円相当か。うーん。新しいステレオに買い替えても良いかも。。
ただ、節約で減る電気代よりはだいぶ高くつくが。。

それに、ルンバの充電やノートPCの充電など、待機電力は多そう。
1日のうち12時間以上は家にいないのだから、
昼間ブレーカー落とせばだいぶ変わるか。
待機電力が全体の10%なら年間で4200円浮くことになる。
だとしたら、冷蔵庫以外のブレーカーを落としてみるか。


まとめ
・ 冷蔵庫には注意
・ ステレオなど、常時起動しているものは注意(起動しなくてよいものに帰れればベター)
・ 待機電力は、長期間使わないもの(エアコン等)はプラグを外すかブレーカーを落とす
(昼間(というか外出時)は冷蔵庫以外のブレーカーを落とすもよし)

2014/04/14

人生に幸も不幸もない。ただ、考え方でどうにでもなるのだ。
(There is nothing either good or bad but thinking makes it so)

「ハムレット」William Shakespeare

2013/12/01

柳は緑、花は紅。

2013/06/27

今日のカンブリア宮殿はモンテールだった。
アルコールインで見たせいか、とても良かった。

社長は、
「自分が本当に食べたいか」
ということを大事にしているという話だった。

「何が好きか」を第一原理に掲げることは、誰にでもできることではないと思う。
それを主張するには、自分が好きなことをやっていることが絶対条件だからだ。
何をしたら売れるかという、shouldの理論ではなく、やりたいというwantもしくはlikeの
理論をベースにできるには、自分が好きなことがあり、かつそれにに誇りを持っている必要がある。

何かの本に、社長がwantではなくshouldしか言わなくなったら、その会社はもう勢いがないといった主張が書いてあったが、その言葉を思い出した。

社長以外でも、今回映っていた社員の方は、フィーチャーされていなかった方も含めて
皆輝いて見えた。やっぱりみんな好きなことをやっているからだろうか。
それなら自然と一生懸命になれるだろう。
一生懸命に仕事をする姿は、なんと美しいんだろうと、思ってしまった。


自分は最近一生懸命仕事をしているだろうかと考えた。
立場が派遣だからとか、一生懸命やることを業務支持者があまり求めていないからとか、
色々な(まっとうかもしれない)言い訳もあって、一生懸命にならないようにすらしているのかもしれない。

しかし、一生懸命やるのは、なにも上司(業務支持者)を含めた回りの人のためではない、と気が付いたような気がする。
理屈で考えれば、仕事をするのは、突き詰めれば顧客満足のためだし、ブレークダウンすれば自分の上司のためだ。
...ほんとうにそれだけだろうか。
仕事をするのは、自分のためでもある。

給料のためだけに、仕事をしているのではない。よく考えると、たぶん話はそんなに単純ではない。
物理や数学はいつも単純で明快だが、毎日の生活はロジカルではない。


一生懸命にやっても、それをまるまる潰される可能性が、今はそれなりにある。
たとえば、いきない「もうそれいらなくなった」と言われる可能性(しかも観測可能な量の悪意も含んで!)もあるし
「(自分でやりたかったのに。。。)」の様に、会社の成果よりも個人の成果に重点を置く人から
悪く思われてしまうこともある。


でも、一部考え直そう。
そのように、結果をもしほとんどすべて否定されてしまっても、
ひたすら一生懸命にやったことは無駄だろうか。
否。一生懸命にやったのは「成果のためだけ」という仮定が、おそらく少し間違っている。

適当に仕事をこなし、のっぺりと過ごしていた時間よりは
一生懸命にやった時間が自分にとっては大切の様な気がする。

手を抜いた仕事が何事もなく終わるより、
一生懸命にやって、(もしかしたら悪意ある)否定をされる方が
まだましな気がする。少なくとも「仕事」が好きな自分にとっては。


振り返った時に、
どうせやってもやらなくても一緒だから、空気読んで適当にやった
というよりも、
とにかく一生懸命やったけど、あまり認められないことが多かった
のほうが、自分には素敵に映る。
世間の人にはどちらがどう映るのだろう。

2013/05/18

死ぬ気でやれよ。死なないから。